山梨県甲斐市まで訪問美容に行ってまいりました。

皆様おはようございます。
今日は寝坊してしまい、5時45分に目覚めました。
めげずに早起き続けたいと思います。
目指せ!4時起き!目指せ!5時出勤!
では本題です。
訪問美容というと出張して訪問先でカットやカラーを施術することですが、昨日は山梨県の甲斐市に行って訪問美容してきました。
訪問美容師の時は『おくりがみ』という名称で制服のポロシャツを来ていきます。
甲斐市の目的地までは1時間半程度かかります。
往復3時間で施術時間が2時間ですので合計5時間はサロンでお客様の予約が取れなくなります。
昨日は身体障害者の「ならちゃん」という青年をカットしてカラーしてきました。
ならちゃんは17歳の時に交通事故で半身不随になった青年です。
障害者ですが、自立して生活しておりYouTuberも頑張っています。
私たちが現在の山中湖畔の美容室をオープンするまでは、サロンを持たない無店舗での訪問美容師でした。
それ以前は九州で22年間美容室を経営しておりましたが、途中から「これから未来は高齢者社会になるぞ!」と思って訪問美容に転向しました。
しかし訪問美容師は思ったよりも単価が低く、今回のようにお客様からの直接依頼がくることは少なく、老人ホームなどの施設の担当者が美容師を選んだり、地域のサロンを選ぶという場合がほとんどでした。
ほとんどの施設は既に地域のサロンと契約しており、新しい新参者が市場に参入することは極めて難しいものであることを後々知ることになります。
私は当初の見込み通り訪問美容師の契約先が決まらずにかなり苦心していました。
そこで始めたのが、第二の収入源としての道を探すことでした。
九州での美容室経営時代に自分でホームページを作成したり、自店のロゴ制作やグラフィックデザインを手がけていた経験もあったので、訪問美容師をしながら、また訪問美容のために新規の施設への営業活動を継続しながら、ランサーズというフリーランサーなどがデザインのコンペをするサイトで、企業がロゴやホームページの趣旨と予算を提示し、デザイナーがサンプルを提案して競い合うコンペに参加して副収入を得る道を探すことにしました。
訪問美容師を目指しつつ、プロのグラフィックデザイナーとして新たな道に挑戦することになりました。
九州で経営していたサロンを閉鎖して訪問美容師になったのが2014年3月でした。
既にサロンは無かったため、生きるためにがむしゃらにランサーズコンペに参加しました。
その間いくつかの老人ホームなど、契約も増えてはいきましたが、夫婦二人で食べていけるほどにはならなかったので、ランサーズに毎日々グラフィックデザイン作品を提案し続けていきました。
私は24歳くらいからテレビを見ない、持たない生活をしていたので、ネットに集中することは自然のことでしたので、特に努力してコンペに参加していたわけではありませんが、今考えると生きるために必死に努力していたんだなぁ〜と思います。
とにかく訪問美容の予約が無い空いた時間は、全てグラフィックデザインでロゴ制作やホームページのサンプル提案を続けていました。
どうやって慣れないグラフィックデザインの勉強をしたのか?というと同業者を尊敬する姿勢を大切にしながら、コンペで当選したデザイナーの提案の仕方やデザイン力について学んでいきました。
ロゴデザインやグラフィックデザインについてのサイトはこちらから閲覧できます。
反対に落選した私たちや他の方々の作品をよく観察して、どうして選ばれなかったのか?を研究していきました。
謙虚になって、同業者を尊敬し『学ぶ=まねる』ことを継続する中で様々な成功の秘訣を知ることが出来ました。
もし私が100人参加のデザインコンペで落選して、選定されたデザインナーに嫉妬し、やっかんだり、恨んだりしたら私のデザイナーとしての成長は止まっていたと思います。
あるいはプライドが邪魔して、同業者の真似なんか恥ずかしくてできない・・・などと考えていたら今の私は無かったし、デザイナーとしての成長は0だったと思います。
その道で成長していくためには、どうしても他の人々の素晴らしさを認め、先を行く同業の先輩方を尊敬する心を育ててゆくことがとても大事です。
そういう態度を貫きながら多い時には1日で10社へ10個のロゴを提案したりしていました。
もちろん自分の心は一筋縄では思う通りに動きません。
当選した方への嫉妬心ややっかみとの戦いは続きました。
心のどこかに自分がコンペで落選したら「面白くない」「どうせ俺なんか・・・」と相手を責める思いと、自分を責める思いが湧き出て止まりませんでした。
頑張れば頑張るほど悔しくて々、悔し涙を流すことさえありました。
戦いの相手は「自分自身の成長を阻害する心」意外にはありません。
そうこうしている間に100個くらいの提案をし続けた頃、200人の応募者の中から初当選し、報酬は5万円ほどでしたがとても嬉しく思ったことを覚えています。
それもこれも同業者を尊敬し、成功者を祝福する心を育てることに成功した証では無いかと思っています。
そんなこんなで時が流れていき、訪問美容とグラフィックデザイナーを兼業していましたが、どちらも大した収入にはならず、米を買うこともできないような困窮した状況がしばらく続きました。
晩御飯は手羽先1本なんて日も珍しく無いような厳しい日々が続いていきました。

そこで、私は決意しました!
「これは第三の道を探すしかない!」
そういう結論に至りました。
早速地元のハローワークに行き、仕事を探していると山梨県の忍野村のリゾートマンションの管理人募集が掲載されていました。
そこは「ダイアパレス富士忍野」というリゾートマンションでした。
私は自宅して「ダイアパレス富士忍野」のホームページを見てみると、雄大な富士山の麓に佇む温水プール付きのリゾートマンションが掲載されていました。
(現在は当マンション管理人退社後に理事会から依頼を受けて制作を請け負っておりますので、当時私がみたホームページとは異なっています。)
現在私が制作し管理している「ダイアパレス富士忍野」のホームページはこちらから閲覧できます。
その当時のホームページを見た時に私は決めました。
「よし!このリゾートマンションで管理人をしながら、生活を立て直し訪問美容を続けながら、グラフィックデザイナーとしての腕を磨きながら、3足の草鞋を履いて生き抜いて行こう!」
・・・となって当時の管理会社「東急リゾートに吸収されたコミュニティワン八王子支店」に面接に行きました。
幸いにも採用されることになり、私たち夫婦は九州から出て山梨県の忍野村にあるリゾートマンション「ダイアパレス富士忍野の管理人」になることになりました。
こうして山梨県に初めて足を踏みれたのは2014年12月のことでした。
最近お客様にもよく聞かれることがあります。
『どうして温かい九州から寒い山中湖に出店したんですか?』と。
そこでこのような記事を書くことにしました。
住み着いた理由は、寒冷地で夏が涼しく、冬は雪景色が綺麗だったことや富士山を好きになったこと、湖に反射する朝日や夕日が好きになったことなどがあります。
山梨で管理人をしながら訪問美容をしていましたが、老人ホームに営業に行ってもなかなか契約が取れなかった経験もあったので、ホームページを作って広告することにしました。
ここでも九州で道が開かない時に必死で取り組んだグラフィックデザインの制作が多少なりともできたことが幸いしました。

わずかでも障害者の方などから訪問美容師の仕事が入り始めていましたが、中には老人ホームからサロンに行って髪をしたいという要望などがあったりして、サロンを開業する道も探すことになりました。
ある時には富士吉田市の居抜きの美容室だったり、南アルプスの居抜き物件だったりしましたが、家賃や環境がいまいち気に入らず、5年の月日が流れていきました。
現在2021年3月で7年目の山梨在住となりました。
その間にこちらでホームページの制作依頼があったり、ロゴデザインの依頼があったりしながら訪問美容師を続けていました。
エンゼルという管理会社の知り合いから「のんびれっじ山中湖」というマンションを新規で管理することになったので立ち上げを手伝ってくれないかと話があったので、「ダイアパレス富士忍野」の管理人を辞めて、「のんびれっじ山中湖」の管理人をすることになりました。
それが2020年の2月です。
この時初めて忍野村から山中湖村の住人になったのでした。
当時コロナが流行り始めたところで、山中湖畔も緊急事態宣言で無料駐車場が全て閉鎖され、ホテル・旅館・飲食店など一時閉鎖を余儀なくされていました。
当店の目の前にある山中湖畔の無料駐車場は県外観光者が駐車できないように赤いカラーコーンがずらりと並んでいました。

異様な光景でした。
観光客が消え、閑散とした山中湖畔を横目で見ながら車で走っていた時に、現在の美容室の空きテナントがふと目に入りました。
『お!ここは美容室にいいかも知れない!』と直感的に閃きました。
見た目はとても狭くて小さく見えたので小さい店舗なんで家賃も安いのかな?
そんな思いで興味半分で空きテナント募集張り紙の「芙蓉建設の不動産部」に電話してみました。
『山中湖畔の白い空き店舗の内覧をしたいのですが・・・』
そして大家さんと不動産と私たち夫婦とで内覧をすることになりました。

始めて現在の店舗に入ったのは、2020年の9月8日のことでした。
店舗は思ったよりも奥に長く、予想では10坪程度と思っていたんですが、なんと40坪近くありました。

しかも大きな鏡が4つと作り付けの棚などがついており、以前はお土産物の棚として使っていたものが美容室としてリサイクルできる!ととても気に入ってしまいました。
しかし家賃が高いため交渉が必要でした。
元々コロナ禍の影響で山中湖畔が暗い雰囲気になっていた時に見つけた空き店舗だったので、十分交渉の見込みはありました。
それから交渉です。
私は思いました。
『このコロナ禍の厳しい時代に美容室の開業をするのはとてもリスクが高い、だから現在の家賃を交渉して美容室が立ち上がるまでの最初の1年間は半分くらいまで下げて欲しいな・・・』
そこで大家さんと不動産にこの旨を説明し交渉しました。
そして空き店舗を後にしました。
しばらくしてから不動産から電話がありました。
大家さんは快く条件をのんでくれました。
「家賃に関してほぼ半額で1年間猶予を頂けるそうです」
私たちは決意しました。
「よし!山中湖畔で癒しとヘアデザインに特化した美容室を開業するぞ!」
そして2020年12月1日に「はしびと」美容室を開業しました。

私は開業までに幾度々も失敗と挫折を繰り返し、その度に多くの教訓を得てきました。
同業者や成功者から謙虚に学ぶ姿勢や失敗するにはそれなりの原因があることを学びました。
一つの道が開かない時には、第二の方法を探し、それでも道が開かない時には第三の道を探して道を開きました。
そして自分が良いと感じたことは継続して腕を磨き続けました。
現在もコロナ禍の不況の真っ只中、ほとんどの業種が減収減益で苦しんでいることだと思います。
私の美容室も思った以上に長引くコロナ不況と無関係では済みません。
昨日の来店された方もいつもは毎月行っていた美容室に6ヶ月も行かなかったと言っていました。
もちろんコロナ禍の影響です。
お客様方はどんどん来店周期が長くなっているようです。
経済が全国規模、いや世界規模で萎縮しています。
予約が少なく不安な時には、こう考え続けています。
『どうしたら新しいお客様が来てくれるか?』
『どうしたら既存のお客様が安心して当店に来店して頂けるか?』
『コロナ禍で収入が減っているお客様をより良い品質でより安くサービスを提供する方法がないか?』
『どうしたら品質を上げて、あるいは品質は変わらずコストを抑えて収入を上げることができるか?』
『そのために私に今できることはないか?』
こうしたことがぐるぐると頭の中を駆け巡りながら考え続けています。
こうしたことは主に早朝に2時間前出勤をして思案しています。
どうして2時間前に出勤しているかというと、朝は物事をプラスに考えることができ、夜は物事をマイナスに考えてしまうからです。
今、過去を振り返って思うことは・・・
訪問美容師を続けていたおかげで、こうして再びサロンを開業できました。
多くの方々のお陰で今があります。
多くの方々のお陰で今、生きています。
『この恩をどうしたらお返しできるのか?』
『どうしたら、もっと多くの方々を幸せにすることができるのか?』
これからも考え続け、実践し続けて参ります。
人はこの世に生まれた時には、裸一貫で人生をスタートしました。
誰もが自分のものは何一つなく無一文からのスタートでした。
そして家族に恵まれたり、仕事に恵まれたりしながら多くのものを身に纏い、財産や資産を作っていきますが、死ぬ時は生まれた時と同じく何も持って還れるものはありません。
全ては仮のものですし、借り物なのです。
何一つ持たずに生まれてきたんですから、挑戦して失敗して何かを失ったとしても元々自分のものではなかったんです。
失いものが元々何一つ無いなら、恐れるものは何一つありません。
恐れるべきものはむしろ、「恐れそのもの」です。
恐れている時間があったら、誰かを幸せにする方法を考えましょう。
共にコロナ禍を乗り切り明るい未来を切り開いて参りましょう!
どうぞこれからもよろしくお願いします。
